沖縄戦戦没者遺骨収集、帰還報告会
2009年3月8日の日曜日に、「沖縄戦戦没者遺骨収集、帰還報告会」を行いました。
この勉強会は先月の2月に私たち西村塾の塾生が参加した「沖縄戦戦没者遺骨収集」についての発表会です。
今回の遺骨収集は、NPO法人JYMA(旧・日本青年遺骨収集団)の社会人枠のメンバーとして参加させて頂きましたので、JYMAの学生さん達にも参加して頂きました。
遺骨収集について詳しく学びたい、またJYMAの皆さんと交流を深めていきたい、と言う趣旨で本日の会を開催致しました。
最初の発表は、今回の「沖縄戦戦没者遺骨収集」の派遣についての発表です。
隊長として活躍された、拓殖大学3年・森啓太さんに発表して頂きました。
西村塾幹事長・和田憲昭からは「沖縄遺骨収集に参加しての感想と沖縄戦について」の発表をさせて頂きました。
塾生・水野からは、今回私達が遺骨収集を行いました真嘉比で行われた「シュガーローフの戦い」、また荒崎海岸の戦史についての発表をさせて頂きました。
硫黄島遺骨収集に行かれた方にも、派遣について発表をして頂きました。
ソ連抑留経験者の遠藤尚次さんには抑留経験のお話をして頂きました。
遠藤さんは、北支派遣軍衣3042部隊に配属し満州に派遣されました。終戦の年、部隊が満州から撤退する際にソ連軍に追いつかれ捕虜となり、シベリアに抑留され、昭和23年5月に帰国されました。
現在はシベリアでの遺骨収集活動、またシベリア抑留の語り部として活躍していらっしゃいます。
最後にJYMA理事長の赤木衛さんより、遺骨収集についてお話して頂きました。
懇親会では
茨木治人さんにご挨拶をして頂きました。
茨木さんは満州仕官学校七期生として昭和19年12月に渡満され、満州で終戦を迎えた後シベリア各地で抑留され昭和22年5月に帰国されました。
現在は東京ヤゴダ会の副会長に就任され、JYMAの学生さんたちにもロシア派遣のご指導をしてくださっています。
茨木さんにはシベリア抑留についての資料を配って頂き、深い勉強をすることができました。
そして最後は濱田儀一さんにお話して頂きました。
濱田さんは山口県ご出身の方で、防衛大学校を卒業された後江田島の海上自衛隊幹部候補生学校、ジョージア州アセンス市の海軍経理補給士官学校を出られて、海上自衛隊1等海佐(海軍大佐〜Navy Captain)として勤められた方です。
濱田さんからは遺骨収集についてまた歴史認識について重要なお話をして頂きました。
遺骨収集団の学生さん、戦争経験者の方々、そして私達塾生で語り、遺骨収集についての知識と交流を深めることが出来ました。
当日20歳のお誕生日を迎えられた学生さんのサプライズケーキもありました。
西村塾 平成21年総会のご案内
平成21年度の総会のご案内を申し上げます。
本年は広く一般に公開しておりますので、ぜひとも皆様のご参加をお待ち申し上げております。
日 時 : 平成21年4月9日(木) 17:30〜開場 18:00〜20:00
総会 18:00〜18:50 懇親会 19:00〜20:00
場 所 : 衆議院第2議員会館第1会議室
(東京都千代田区永田町2-1-1)
東京メトロ国会議事堂前駅または永田町駅より徒歩2分
(議員会館1階の受附で、係員が案内板にて会場を案内)
総会 第1会議室(1階) 懇親会 議員食堂(地下2階)
会 費 : 塾生・塾了生・賛助塾生:3000円
非塾生:4000円 (懇親会費含む)
申し込み : 次項連絡先のいずれかの方法で4月7日(火)までにご連絡下さい。FAXの場合は本状下部分の所要事項記入の上、お送り下さい。
連 絡 先 : 西村真悟事務所
〒100-8982 東京都千代田区永田町2-1-2
衆議院第2議員会館417号室
TEL:03-3508-7417 FAX:03-3508-3897
E-mail:tokyooffice@n-shingo.com
*総会のみのご出席でも会費は頂戴致します。
*どなたをご同伴されても構いませんが、会費につきましては同伴者分も頂戴致しますので御了承ください。
いせだ幸正 選挙結果のご報告
塾生、いせだ幸正が立候補しておりました、富士見市議会議員選挙は、昨日3月22日に投開票の日を迎え、無事終了いたしました。
いせだ幸正は、630票27位という結果に終わり、当選には後一歩届きませんでした。
多くの皆様のご支援を頂戴したにもかかわらず、このような結果に終わりましたことを、ここに深くお詫び申し上げます。
また、皆様から頂いたお気持ちに感謝申し上げますとともに、けっしてこれを無駄にしてしまわないように心に刻み、いせだ幸正と西村塾は、これからも挑戦をつづけて参ります。
このたびは誠にありがとうございました。
○結果の詳細はこちらです→富士見市選挙管理委員会http://www.city.fujimi.saitama.jp/senkyo/index.html
以下に、選挙戦中の活動をご紹介致します。
ロータリー中央は日影になっておりますが、快晴。
西村塾からは、犬伏秀一(大田区議会)、小嶋吉浩(取手市議会)が駆けつけました。
また、いせだ君の関係から、各地から錚々たる議員・有識者の方々にお集まり頂きました。
上田ゆきこ先生(文京区)、稲垣じゅんこ先生(中野区)、のづたけし先生(新宿区)、河野よしとく先生(志木市)、伊藤玲子先生(鎌倉前市議)、かみはし泉先生(柏市)、岩堀けんし先生(松戸前市議)、石井伸之先生(国立市)、三輪和雄先生(日本世論の会)が、応援の弁をふるって下さいました。
増元照明さん
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の事務局長、増元照明さんも、いせだの応援に駆けつけて下さいました。
西村塾では、拉致救出活動や、増元さんが出馬された平成16年の参議院選挙を支援してまいりました。
塾生が西村塾長からのメッセージを代読
富士見市政への思いを演説するいせだ幸正
みずほ台駅前に集まって頂いた支援者、塾生、足を止めて聴いて下さった市民、有権者の皆様と、握手。握手。
期間中は、なかまえ由紀先生(港区議会)、同じ志をもついせだの先輩、つは高久さんも応援に駆けつけてくださいました。
昨年晩秋、「いせだ幸正を応援する会」の発足から始まった、約4ヶ月。いせだの戦いは終わりました。
この間、早朝や夜の駅頭に、市内の隅々にいたる路地の裏まで、富士見市からの教育再生、市民の福祉と財政、拉致問題と北朝鮮に拉致された日本人を救出する地方議員の会への思い、これらすべての思いを実現すべく、活動をつづけて参りました。
至らぬ点も、多々ございました。反省すべき課題も、いくつも見つけることができました。
敗れは致しましたが、このたび630票もの得票を頂いたことで、いせだ幸正の政治家としての第一歩は始まりました。
ここにあらためて御礼申し上げますとともに、ひきつづき伊勢田幸正に温かいご指導とご鞭撻を、そしてまた、変わらぬご厚情を賜れますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
いせだ幸正を応援する会担当幹事 ながさわ
3月15日は富士見市市議会選挙の告示日です
西村塾幹事の安部です。本日は、富士見市市政に挑戦する同志「いせだ幸正」の応援の為に、埼玉県にやって参りました。
いせだのプロフィールやマニフェストについては、こちらをクリックして、リンク先をご参照下さい。→◆いせだ幸正の情報
地元のみずほ台駅で街頭演説を行う、いせだ。
ハンドマイクを片手に、市政の改革を訴えながら街を歩くいせだと、そのスタッフ達。いよいよ明日、本当の戦いが始まります。
以下は、我らが西村塾塾長、西村眞悟の応援メッセージです。いせだに代わりまして、ご紹介させて頂きます。
祈必勝
本日、戦いの火ぶたはついに切って落とされました。
いせだ幸正君は、私が塾長を務める私塾「西村塾」の前事務局長として、会のために汗をかいてくれました。そのひたむきな献身さと人柄の誠実さは、他の塾生たちの信頼も集め、まさにこれからの時代を担っていく政治家として最適な人材と言えるでしょう。
ご参集の皆さん、一丸となっていせだ君を富士見市市政の壇上へとおし上げて頂けますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
若さとパワーで必ずや厳しい戦いに勝ち抜かれますよう、衷心より祈念しております。
平成二十一年三月十五日
西村塾塾長 衆議院議員 西村眞悟
15日の出陣式は、東武東上線「みずほ台」駅前にて10時半開始予定です。皆様お誘い合わせの上、是非ともご来場頂けます様、お願い申し上げます。
神風特別攻撃隊の貴重映像
いきなり本題からそれてしまうのですが、yahooニュースを見ておりましたら、今年の国公立大学の2次試験が始まったというニュースがありました。
この年に一度の機会、受験生の方々が悔いのないように受験できるよう、お祈りしたいと思います。
大学入試 国公立大2次試験の前期日程、149大学で開始
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090225-00000002-maip-soci
というのも、昨年の受験シーズンに東京で、JR山手線新宿駅と渋谷駅で、通勤ラッシュの波に飲み込まれた、受験生らしき若者を見たことがあったからです。
いつも通勤している人々は、新宿駅と渋谷駅では下車する波と乗車する波が入れ替わるタイミングがあることを知っているはずなのですが、受験のために初めて上京した受験生にはそれがわかるはずもなく、その彼らは降りるタイミングを逃し、乗車する人々の大波に飲み込まれてしまっていたのでした。
渋谷駅では、「降ります。降ります」と声をあげて、受験生はなんとか降りられたらしいものの、カバンを取られてしまったようで、ドアが閉まるまで「カバンが。カバンが」と狼狽していました。
駅員さんも「大丈夫ですか?」と駆けつけましたが、すぐにドアは閉まり‥。
カバンをすでに車内に落としていたのか、それとも引っ張りだそうとしてがんばっていたのか、そして、無事に取り戻せたのか、ぎゅうぎゅうづめの車内からは全く確認できませんでしたが、なんとも心配な出来事でした。
似たことが、同じ電車の新宿と渋谷で、立て続けに二回起こったのですから、東京のラッシュアワー恐るべしです。
私も大阪の人間ですが、東京に来る受験生が身近にいらっしゃる方々は、ぜひともこの点を注意して頂ければと思います。
神風特別攻撃隊の貴重映像
前置きが長くなってしまいましたが、今日は特攻隊の映像を編集した、とてもよくできた動画があったので、ご紹介したくて書くつもりでした。
先日、塾生が沖縄の戦没者遺骨収集に参加した旨をご報告しましたが、それ以来、沖縄戦のことを少し勉強しており、その際に見つけました。
長渕剛 - Close Your Eyes (貴重映像を収録)
http://www.youtube.com/watch?v=KuaEbT2_QEQ
公開されてからすでに半年以上経っているようで、既に100件以上のコメントが寄せられています。
歌は、映画『男たちの大和』の主題歌ですが、戦艦大和の英霊に捧げられた歌としてあるだけでなく、特攻隊の英霊にもそのまま通じるものが感じられました。
どんなNHKの特集や、民放の特集よりも、短くてよくまとめられてあるなあと思いました。
隊員たちが敬礼をして、盃を受け取る映像や、帽子を振って皆で見送っている映像などを見ると、無性に泣けてきました。
それから個人的にですが相花信夫少尉のご遺書にも共感するところがあり、人生上の感動に揺さぶられました。
それから沖縄の米艦隊に体当たりする特攻機の映像では、もう駄目でした。自分はこんなに涙してしまった事は今までになかったかも知れないと思う位大いに涙が出ました。
熾烈な対空砲火をかいくぐりながら、必死に米艦船に食らいつく映像の数々は、彼らの使命と戦いそのものでした。
武運尽きて、弾幕のなか火を噴きながら墜とされる機もありました(特攻機の命中率は一割ほどだったと言われています)。
旗艦空母バンカー・ヒルへと真っすぐに向かってくる特攻機の映像は、ずっとまぶたの裏に焼きついて離れません。
小島襄氏の著作によると、沖縄洋上に集結したアメリカ艦隊は、艦艇約1500隻、輸送船約450隻、兵員約54万8000名と、空前の大艦隊でした。
(食料や武器弾薬のほかに、雑誌やカミソリやチューインガムなど膨大な生活物資も積載していたそうです)
ちなみに、日本が最盛期のミッドウェー作戦に動員した兵員が10万名でした。なんという戦いでしょうか‥。
沖縄特攻は、菊水作戦の名の下に約二ヶ月半の期間、十次に渡り行われ、ウィキペディアによると、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施。海軍では2045名、陸軍では1022名が特攻により戦死。また、133機が命中、122機が至近弾であったとのことです。
その当時の沖縄の海と空を想うと、胸がしめ付けられるような思いが致します。
この映像を見てどのような感想をもって、そして何を考えるかという事は、人により様々だと思いますが、私がひとつ思ったことは、やはり本当に尊い先人がいらっしゃったのだなということでした。
この方々のことを忘れてしまっては今の日本はないだろうと、あらためて思った次第です。
当時の隊員の方々のお気持ちも、もちろん通りいっぺんではなかったそうでありますが、皆自らに使命を課してゆかれたのだと思います。
私事になりますが、私はそのお姿に、不遜ではありますが、憧れに似た気持ちを覚えました。
我々も、今後さらに西村塾の活動に、この先人に報いる使命をもって行ってゆきたい。
教育や、社会を、変えてゆきたい。
と同時に、日々の仕事の中にも、使命感を見出して生きてみたいと思いました。
個人的な話ですが、私はずっと、サービス業にあたる職種に従事して来ましたが、組織のために働くだけでなく、日本人全体が明るく強くなることに、ほんの少しでも貢献できたらなと思います。
「照一隅者 是国士」
とは、「一隅を照らす者、これ国士」と読み、かつてのマツダ社長、松田恒次氏の言葉だそうですが、どんな些細な持ち場でも一生懸命取り組んでいる人は、国の宝であるという意味だそうです。
私も何か明確な使命を持って生きたいと考えた時に、この言葉を思い出したことは、有難いことでした。
より積極的に西村塾の活動によって、一人でも多くの日本人が、この歴史をわかっている世の中にしたいという事ももちろんです。
そして、どのような方法にせよ、自ら自覚をもって日本の歴史に連なること、これが、特攻隊の英霊に報いる事ができる、一つのあり方ではないかなと思いました。
幹事 ながさわ
.
建国記念の日(紀元節)に。紀元節の歌
みなさん!
今年も建国記念の日がやって参りました。
その由来も出来事も、現代日本人にはほとんどなじみがなくなってしまいましたが、このブログをお読み頂いている皆様は、きっとご承知の事だと思います。
明治時代に、日本の紀元を祝う日、紀元節として制定され、戦後、占領軍のため一時期途絶えておりましたが、民間の多くの方々の努力により、昭和41年に建国記念の日として再制定されたそうです。
2669年前、神武天皇が橿原宮に於いて即位された本日を起点として、日本の歴史が書き起こされたのでした。
それは、日本が独自の文化を育んでゆく歴史の始まりでもあり、大陸中国からの独立の起点ともいえるでしょう。
実際には天皇号が成立したのは、推古朝以降との学説が主流を成していますが、ここではそういった議論は、本題でない為措きます。
ただ、建国記念日がフィクションであるという説を、仮にもしかしたら十分に有り得べき説だと容認したとしても、では、建国記念日(紀元節)などいらないのか、それとも推古朝時代のいずれかの年に紀元を定め直すのか、と突き詰めたさいに、そのどちらも否であろう、とだけ納得できればいいのではないでしょうか。
もちろん私は、建国神話と、神勅に発する日本の大理想を信じております。
ちなみに西村塾ではかつてこの日、橿原神宮にツアーを組んで参拝したこともありました。勅使が毎年宮中から派遣されて来るそうです。ぜひもう一度行ってみたいものです。
橿原神宮:外拝殿
私、幹事のながさわの建国記念日の思い出といえば、二年前に明治神宮で、日本の建国を祝う会主催の奉祝記念行事に参列したことです。
そこで、紀元節の歌を唄ったのです。参加者皆で歌ったこの歌が、私は好きでなりませんでした。
(ちなみに明治神宮へ行くと、神輿が列をなしてわっしょいわっしょいどっこいどっこいと、掛け声も様々に、各地の神輿が本殿に向かっていました。
聞くと、都内・近県からたくさんの神輿が集まっているとのこと‥。式典では冒頭、御年83歳〔当時〕の拓殖大学名誉総長、小田村四郎氏〔曾祖母の兄上が吉田松陰、西村眞悟日本再生同志の会々長〕が、朗々と主催者挨拶を述べられていました。
声のはりといい、内外情勢への見解を盛り込んで推敲が尽くされた原稿といい、とても立派なものでした。めでたき日の式典にふさわしいハリがあったとでもいいましょうか。)
以下にその歌の詞をコピーします(著作権は消滅しています)。
紀元節
高崎正風
一、
雲に聳ゆる高千穂の
高ねおろしに艸も木も
なびきふしけん大御世を
仰ぐ今日こそ楽しけれ
二、
海原なせる埴安の
池のおもより猶ひろき
めぐみの波に浴みし世を
仰ぐ今日こそ楽しけれ
三、
天津ひつぎの高みくら、
千代万代に動きなき
もとゐ定めしそのかみを
仰ぐ今日こそたのしけれ
四、
空にかがやく日の本の
萬の國にたぐひなき
國のみはしらたてし世を
仰ぐけふこそ楽しけれ
読み‥聳ゆる(そびゆる)艸(くさ)猶(なほ)動き(ゆるぎ)
どうでしょうか?万葉調で朗々と謳われている、と感動される方が多いようです。
そしてそれだけではなく、どこか正岡子規の短歌のような、無垢で気宇壮大で、希望に満ちた、明治の気風も感ぜられるように思います。
いずれにしましても、大変な風格と親しみやすさを備えた歌だと思います。
以下に、youtubeに投稿されている、東京音楽学校生徒による合唱の動画の、URLを貼らせて頂きます。
http://www.youtube.com/watch?v=2UvYla-aZzc
私はもっと、一人でも雄雄しくテノールで独唱してみたいです。
とても清々しい気持ちになれますので、皆様もためしてみられてはいかがでしょうか。
作詞、高崎正風
天保7年7月28日〜明治45年2月28日
幹事 ながさわ